自分の作品、と言えなくなった話

パンピーにだってあるモヤモヤ話

 

最初のは特別な事じゃないけど、違和感の話

中学生の授業での版画

先生がやたら熱心に技巧的な指導をしてくれた結果、自分のだけ返却されなかった。図工室に飾らせてと。作者名は自分だったけど、先生の作品だと思った。

 

実習作業着のデザインの話

学生の頃、学年毎に作業着の背中に絵を入れてたので、自分らの代も入れたいので誰か描いてくれないかと募集があった。結局締め切りギリギリまで誰も動かず、何でもいいからお願いと頼まれたので、こんなのでもいいなら…となんとかして案を捻り出した。数日後にちょっと変えさせてもらった、と人伝てに聞き、大きかったかな…と仕方なく思ってたら、印刷されて文句言えない状態の出来上がりを見て絶句。トリミングとは違う、切り貼りされてデザインもバランスも無惨な姿になって、しかも直接変更の相談すらしなかった人はあちこちに作者としてオイラの名を出してた。あれは作品じゃなくて素材提供。あの作業着は実習作業の度に着てたけど心底嫌だった。

卒業するまで、いや卒業してもあの人とはほとんど口をきいてない。

 

稽古事でうっかり賞をもらってしまい、その感想文を書かされた話

受賞は一緒に組んでた留学生へのプレゼントだといっていいのですが、作文はオイラ指名で、上下関係厳しい世界なので書けと言われたら白目剥いてでも書くしかなく。文字数指定で、直接の先生が出版業界出身だからと添削をお願いしてなんとか締切に間に合わせてホッとしてた。忘れた頃に出た業界誌には指定文字数の半分よりももっっと少ない文字数に削られたものが載っていた。(白目)

 

ざ・改竄な個人紹介記事

派遣で働いていた頃、社内報に記事を出すよう指名された。社員さんじゃないので、他にたくさんいらっしゃるからと幾度も幾度もお断りしてたのにとうとう上司からの "命令" として降ってきて根負けして書くことに。既にめちゃくちゃ嫌だった。写真も必須とされ、うっかり出すと切り取られて顔面ドアップの刑に処せられるのが分かっていたので、記事も写真も我が鉄の馬のことに。バイクと一緒の写真ならドアップは免れるとの目論見だったので、そこだけはなんとか助かった。けれども、文面はまんまと変えられていた。バイクの名前がおかしい、知っている人ならすぐ分かる無知な人の改ざんの仕方。もちろん相談なんか無かった。社内のバイク乗りさんが「あれ何?ひどいね〜」と心配してくれたことだけが救いだった。

 

全てが嫌な記憶なわけではなく

高校の部活用に描いたポスターは、卒業後十数年もしてから後輩から見本作として保管されてたと聞いて、ちょっと鼻がむず痒くなったことも。ささやかないい記憶。

仕事で作品を世に出す人は、自分の作品と言えなくなることは経済的にももちろん死活問題なので比較できるものではないけれど。。

高校の頃のポスター描きは学祭のクラスの出し物用から兼部先の演劇部の公演ポスターやらパンフの挿絵まで、幾度も機会をもらえて使う画材から画風まで描く度に変えていたつもりだったし、ダメ出しもらって描き直すこともあったけど、結局「どれも作者は同じ」ってバレてた。逆から言えばどの作品も自分の分身だった。

だからこそ、変えるなら作者が納得しなくちゃダメなんだ。